宇多田ヒカルのぼくはくま_アイコン

ぼくはくまは、アルバムCDを2000万枚以上売り上げている
大金持ちの宇多田ヒカルの17thシングルである。

多くの人は、大金持ちになれば、幸せになると思っているだろう。

だから、単純に宇多田ヒカルは凄い幸せなんだろうと思っている人は多いだろうし、
それを羨ましいと思っている人も多いはず。
かく言う私も、ぼくはくまを聴くまではそう思っていたひとりである。

が、”ぼくはくま”を聴いた時、幸せ=大金持ちの単純構造が、ボロボロと崩れ落ちた。
いや、あえて難しく言えば、幸せの本質の上にビッシリと覆いかぶさっていたメッキがペロッと剥がれ落ちたかのような感覚を覚えている。

それはどういうことか。

例えば大金持ちになっても、

  • 1日10食美味しい物を食べられない。
  • 3ヶ月眠り続ける事も出来ない。
  • 空気が急に美味しくなることはない。
  • 病気にならない健康な体になることはない。
  • アスリートのような逞しい肉体にならない。
  • 犬・猫などペットと話せない。
  • 語学堪能になって世界中の人と繋がれない。
  • 親友がたくさんできない。
  • 心の底から自分自身を好いてくれる人間は増えない。

せいぜい性生活の相手に困らないくらいではないだろうか。

そう、世界一高級な車に乗ってみても、窓から見る景色がキラキラとウルトラ激変する訳でもなく
各メーカーによって多少仕様の違う、フロントガラスを通して同じ景色が見えるだけである。

大金持ちになったところで
うんこもすれば、不安にさいなまれることに変わりない
どこまでいっても”ぼくはにんげん”、”ただのにんげん”なんである。

宇多田ヒカルのぼくはくまの歌詞には意味がない

宇多田ヒカルのぼくはくまには物語がない。
ただのくまの自己紹介なのである。

歌詞に全く意味がない。メッセージ性なんてない。
だけどそこには幸せの在り方が隠れていたりする。

宇多田ヒカルのぼくはくま

ぼくはくま くま くま くま
“くるま”じゃないよ くま くま くま

歩けないけど踊れるよ
しゃべれないけど歌えるよ
ぼくはくま くま くま くま
ぼくはくま くま くま くま

けんかはやだよ くま くま くま
ライバルは海老フライだよ
ゼンセはきっとチョコレート
ぼくはくま くま くま くま

Bonjour! Je m’ appelle Kuma. Comment ca va?

ぼくはくま くま くま くま
冬は眠いよ くま くま くま
夜は「おやすみ、まくらさん」
朝は「おはよう、まくらさん」
ぼくはくま くま くま くま

夜は「おやすみ、まくらさん」
朝は「おはよう、まくらさん」
ぼくはくま 九九 くま
ママ くま くま

そもそも、自分はなんでこの形の体で生まれたのか、
何で手足とかがあるの?
何のために生きているのか?
などなど、全く説明もないまま、勝手に人生は始まり、
死ぬまで生きるるのが正しい事みたいにしてるのが、
多くの人間なのである。

そして、全員等しく1秒先も分からない点においては、
人生、そこは平等なのだとも思う。

ほとんどの人は多少の差こそあれ、
似たような人生を生きている。

起床

あさめし

仕事や学校

ひるめし

仕事や学校

よるめし

寝る


このなんて事のない、
繰り返しの毎日の中に、
恋愛とか、不幸とか、結婚とか、出産とか、比較とか、
色々な色々な事があって、
人生は豊かなのだ。

なんだっけ?
だから、結論。

ぼくはくま

は良い曲だし、
ぼくはくま なのである。

ではでわ。